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その他の情報外来種 外来種に対して、従来からその地域で棲息・生育するものを在来種という。したがって、ある地域の在来種が他の地域へ広がった場合は外来種とされる。 人為的に持ち込まれたものであれば、意図的な栽培や放流等によらず、偶然に定着した場合でも、外来種という。実例として、ブドウは遣唐使らによって持ち込まれたものの種子が捨てられて発芽し、そのまま自生化して鎌倉時代以後に現在の山梨県の一部地域で栽培作物化されたものであるとされている。シロツメクサは、江戸時代にオランダから輸入されたガラス器の箱の中に敷き詰めてあったもので、種子が偶発的にこぼれおちて発芽し、日本全域に広まったものと考えられているが、これらも外来種に含まれる。 外来種の植物は、特に人為的な理由により環境に変化がおきた場所で多く生育することが多い。ただし環境が復元されると、自然と勢力が減退することも多いので、外来種の生育状況で環境の悪化の指標とすることもある。 外来種か在来種か決めることが難しいものもある。ハクビシンは、日本以外では台湾から東南アジアに分布し、日本のものは外来種であるとする説が根強い。しかし確かな放獣記録があるわけではなく、在来種なのでは、とする見方もある。 「移入種」「外来種」「帰化種」という言葉は、従来、混在して使われてきた。たとえば行政においては、環境省は「移入種」を、国土交通省は「外来種」を用いてきた経緯があり、いずれも主に国外から移入されたものを対象としていたが、最近では国内の他地域から人為的に移入されたものも含めて「外来種」と呼ぶのが一般的になってきている。 移入元が国外か、同一国内の他地域であるかによって、国外外来種(国外移入種)、国内外来種(国内移入種)と区別する言い方もある。 |
守護代 守護代の戦国大名化に伴い、守護級の格式を求められる大名家が増えていった。 その代表例は朝倉氏である。朝倉氏はそもそも、足利将軍家の有力一門で、代々三管領筆頭の地位を占めた斯波氏の被官であった国人の一人であった。応仁の乱では西軍に加担し、渋川氏から斯波氏を相続した斯波義廉を大将に守り立てていたが、東軍の総帥、管領 細川勝元の誘引により、東軍寝返りの見返りに越前守護に補任され、守護となった。しかし、旧主 斯波氏による訴えや幕府の斯波氏に対する同情から、しばらくの後、朝倉氏の守護職維持が難しくなり、三代将軍足利義満の次男で兄 足利義持に謀叛して倒れた足利義嗣の末裔が越前国に鞍谷御所と称し存続していたのを目につけ、斯波義廉の子に鞍谷御所を相続させて、足利義俊と名乗らせ、傀儡の越前守護に補任するよう手続きし、越前一国の実効支配を確保した。 出雲国の守護代 尼子氏も同国守護 京極氏の庶流であり、その重臣として出雲守護代を命ぜられた家であった。しかし、応仁の乱以降の戦乱において戦功を重ね、京極家中において実力を養うと主家を追い戦国大名化し、やがて守護の格式を手中にした。そもそも、出雲守護には代々京極氏が補任されていたが、京極政経に背いた尼子経久が主君を追い、出雲国を掌握し11カ国に拡がる大名へと成長していった。子の尼子政久が討ち死にしたため、家督を嫡孫に譲ると、経久は孫に将軍足利義晴の一字 晴の字を受けて尼子晴久と名乗らせ、また出雲守護補任を認めさせ、守護代から守護への格式へと家柄を向上させた。 |